ETAJ勉強会:内向型の生徒の学習効率を考える会:セッションメモ

ETAJ勉強会:内向型の生徒の学習効率を考える会:セッションメモ

清水 健雄

 

 

7月にはETAJ会員の柴原由貴先生を中心に、内向型の生徒の学習について考える機会を設けました。

 

 

まず最初に、由貴先生から「学習」「アクティブラーニング」について基礎的なお話、それから「内向型の生徒」の特徴等をお話いただきました。

 

【学びの大前提】

学びの主体は学習者

学びは多様な学習者に応じて保証されるべき

 

【アクティブラーニングとは】

学習者が教師など他者との交流を通じ考えを掘り下げる

特定の教育方法の押し付けることの懸念、外面だけアクティブな授業による内向型学習に対する危機もある

 

【内向型/外向型の特徴】

<内向型とは>

考え事に没頭する、考え方がまとまるまで口を開かない、エネルギーを内にため込む、慎重に行動する、一人で過ごせる時間が必要等

<外向型とは>

考えながら同時に話す、エネルギーを外に発散する、他との交流のための時間を欲する等

○外向型が好むエネルギーを外に発散する行為は、内向型にとって非常にエネルギーを消費する行為である

○内向型の特徴である「慎重さ」は、外向型にとっては「いらだちと困惑」となる

 

【問題提議 誰と誰の「対話」なのか?】

文科省が定義するアクティブラーニングとは:「主体的、対話的で深い学び」

しかし、誰が「主体的」? ⇒ 生徒(学びの当事者)

誰と誰が対話的? ⇒ 自分と他者、自分と自分

自分と他者:グループワーク、ペアワーク

学びが浅くなる懸念がある、外面的な活発な活動ななりかねない

学習者特性による向き不向きが考慮されていない

内向型にとって、「自己との対話を重ねるという考え事への没頭」を邪魔する

 

【問題提議 内向型学習者にとって良い学習環境とは?】

自分と自分との対話を経て、自分と他者との学びのステージをつなげようとする

プライベートな空間と時間を確保

一人でゆっくり考えることへの待つ余地

対話軸を広げることへのメリットの気づき

自分の考えを出さずに自分の中で完結させる傾向にある

対話的な学びを、内側へためるところから外へ出すことで、フィードバックなどをもらい、修正・深みを持たせる

 

指導者が、いかにして内向型の学習者に対して学びを深めて広げていく機会を与えることが大事

アクティブラーニングが「外見の良さ」に目が行き過ぎて、本当の学びがどこかへ行ってしまうのでは、という懸念がある

グループで学ぶメリットはあるが、方向を間違えると学習によっては「学びをせかされている状態」になってしまうかもしれない

 

 

そうしてお話をお聞きした後、参加者全員でディスカッションをしていきました。以下は勉強会中に出た意見やアイディアの一部です。

 

【そもそも、アクティブラーニングはいつから始まった?】

時期は定かではないけれど、学習指導要領で「アクティブラーニング」という言葉が出てきたのは2017年から。

これ以前にも、「アクティブラーニング」という言葉がなかったけれども、生徒同士での教え合いなどはあった。

質問しづらい生徒に教える

できる子がずっと教えてしまうので「教えたくない、自分のペースでやりたい」というのもある

先生も放任になっていることもある ⇒ 生徒を導けていない

アメリカでは「アクティブラーニング」がベース

性格によって、内申の点数が変わる ⇒ 「内向型」が損をしている

小さいグループで最初行なうことは、内向型の発言する時間がかかるという問題をクリアするにはよい環境かもしれない。

 

【自分のことと学びがかけ離れている、学びに対する「当事者感」がない】

周りが勝手に進んでいるので、「自分の入るところがない、やらなくてもいいか」という外から見ている傍観者の立場になっている

引き戻すのに、先生・生徒共に大変な労力が必要

傍観者にさせないためには、トレーニングが必要(指導されていない生徒よりも、積極性が出てくる)

これは、内向型や障害者だけではなく、全ての生徒に必要であるかもしれない

 

【生徒同士で助け合う文化】

アメリカでは、先にできた生徒は逆にリーダーシップを取るので、日本のように「自分ばっかりサポートする」いうことにはならない。

日本では、サポートし合う体制を作るために時間がかかりそう

サポートし合うということを小さいころからやってないからではないだろうか?

機会が与えられないと、「支え方が分からない」のかもしれない

頑張っている生徒を「認める」機会がなくなっているかもしれない

このようなことが、「内向型」とっては煩わしいことでもある

当たり前のことだという認識なので、特に褒められることではないと感じる

「理解されていないのに、褒めないでほしい」という考え

褒められることがモチベーションにならないサポートが自然になればよい

 

【学校では「話す」場面が多い】

「話す」というのはあくまでもアウトプットの手段ではあるが、「話す」以外にも表現方法があればよいと思う

気持ちや考えを表現する方法を考える必要があるかもしれない

生徒の中で対話をして「気づき」があることがまず必要、それから先生にまずは話し、それから他の生徒に伝えることができるようになる

日本の先生は、「アクティブラーニング」を「対他者」だけで考えているので、話すことができないとフェアでない感じになる

まずは「主体的」であることが大事、定義を明確にしなくてはいけない

先生の能力がなければ、「アクティブラーニング」によるクラス運営は難しいかもしれない

「先生が知識を与えて、生徒はそれを消化する」という考え方がまだ教育現場にある

 

ある塾では、生徒が学んだことを先生になって教えることをする。先生はサポートとして授業に参加する

 

【「ラーニング」はそもそも「アクティブ」であるはず】

従来の教え方でも、生徒(の脳)がアクティブになっていればそれでいいはず

外に解決策を求めすぎるかもしれない、新しい教え方をしなくてはいけないというプレシャーになっているかもしれない

学んでいるかどうかは「生徒本人にしか分からない」から、評価が非常に難しい

 

私立の先生は、「結果」を出す必要があるため従来の方法で授業をやりがちになる、新しいことに挑戦をしにくい

公立では先生のよる(新しいことに挑戦できる環境はある)

【学ぶ側から見て】

日本人は、先生から説明を聞く、発表などをせず宿題も先生に提出する、というようなスタイルが好きなのかもしれない

同じインドネシア人からインドネシア語を学ぶということでも、オーストラリア資本の学校(アクティブラーニングが主体)とは全く違うことに驚いた

 

 

 

 

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